2023年のグッドデザイン大賞を受賞した、老人デイサービスセンター「52間の縁側」。施設名にもある通り、だれもが気軽に立ち寄ることのできる「縁側」の概念を建築に落とし込んだ老人デイサービスは、どのようにして生まれたのでしょうか?
これまでも共生型デイサービスの場づくりをおこなってきた有限会社オールフォアワンの代表で「52間の縁側」を運営する石井英寿さんと、同施設の設計を担当した株式会社山﨑健太郎デザインワークショップの山﨑健太郎さん。
今回はお2人に、日本社会が抱える介護現場の課題から医療福祉施設を設計することの難しさ、そして建築の役割など―「52間の縁側」完成までのプロセスと絡めてお話いただきました。
場所から名前を取り払うことで生まれる自主性
――「52間の縁側」の施主である石井英寿さんは、これまでも民家を借りた小規模なデイサービス「いしいさん家」を営むなど、人と人が共生できる場づくりを大切にされてきたかと思います。「52間の縁側」を建てる上でのビジョンはどのようなものでしたか?
石井英寿さん(以下、石井):日本はいつしか子どもは子どもだけ、お年寄りはお年寄りだけの空間で過ごす、縦割りの社会になってしまっていて。 そのせいで、「死」とか「老い」が日常から遠ざかっていると思うんですよね。誰もがいつかは老いて死んでいくのに、デイサービスや老人ホームは人里離れたところに置かれている。
石井:でも、少し昔の大家族のような日常風景には、赤ちゃんのおむつ交換をしている横でおばあちゃんがごはんをつくっていたり、お兄ちゃんが畑で仕事をしていたり、近所の人と支え合ったりするような生活があって、「死」も身近にあったわけですよね。それが、豊かな生活だと思います。だから認知症の人も障がいがある人も、なにか悩みを抱えている小学生も、みんなが自然に出会える場所をつくり、その人らしい日常を送れるような介護を実践したいと思ったんです。
山﨑健太郎さん(以下、山﨑):自分たちの都市での暮らしを見れば、いつも同じ属性の人たちと一緒にいるなって思いますよね。子どもであれば、朝起きて親におはようと言って、学校では同級生と過ごし、同じ仲間と部活をして、家に帰ってきて家族とごはんを食べるみたいな。
それが悪いことだとは思いませんが、もっといろんな環境の中で育ってもいいんじゃないかなと思うんです。同じ人とずっと一緒にいると息苦しくなるときもあるでしょう。だから、石井さんがつくりたいと思っているのは多様な人々が同じ空間にいた昔懐かしい日常の風景なんだと理解して、建築に落とし込んでいきました。
――実際に設計を進めるにあたって、どのようなやりとりがおこなわれたのでしょう。
山﨑:石井さんはあんまり具体的な要求をしてこないのが素晴らしいところだと思います。一般的に施主というのは、「ここを使いやすくしてほしい」とか「なるべくメンテナンスがいらないように」とか、詳細に要望を伝えてきますが、石井さんはほとんどそういうものがなかった。それよりも、石井さんの頭の中にある「こういうふうな暮らしがあればいいな」というイメージをそれとなく伝えてくれたような気がするんですよね。思想の共有と言ってもいいと思います。
例えば、今回の敷地はものすごく横に長くて使いづらいし、建物も自ずとリニアな形になる。ただ、これは「縁側」と言い換えることもできるとお互いに気づいていって。縁側のイメージをお互いにすり合わせてみると、近所の人がやってきて家の主と横になって座るような風景が思い起こされた。それは石井さんが考えている人と人との関わりに近いんじゃないかと思いました。
――懐かしい日常の風景に対するイメージを共有するなかで「縁側」に辿り着いたと。
山﨑:それと、空間のつくり方については石井さんと一緒に見学に行った、福岡にある「宅老所よりあい」を参考にしました。特別養護老人ホーム(特養)とカフェの間にテラスがある施設で、ここも特養とカフェにいるそれぞれの利用者の交流を促すためにテラスが設けられています。普通だったらここに「交流スペース」と名前を付けますが、なんの名前も付けられていないのを見たときに石井さんと僕は腑に落ちました。
僕は建築の設計者として、場所に名前が付くことでどこか強制的にやらされているような空間が生まれてしまうと以前から思っていたし、石井さんの介護観からしても、介護する人/される人という役割や目的を持たないことがすごく重要でした。
だから、場所から名前を取っていくことが大事だと思ったんです。そして、縁側というのはまさにそういうものだった。何をするか決められた場所ではないんですよね。玄関のようでもあるし、寝転んでもいいし、ごはんを食べてもいい。使う人たちが主体となって、場所の性格が決められていくということです。
人々が自ずと来たくなる「まち」のような建物
――ディテールの部分では、どのような点を重視して設計に取り組んだのでしょうか。
山﨑:人と人との交流といえば「会話をして仲良く過ごす」ことが思い浮かびますが、石井さんが大事にしているのは、同じ空間や風景に「いるだけでいいんだ」ということでした。リビングには利用者の方がいて、庭では子どもたちが遊んでいたり山羊がいたり。「いてもいいんだよ」と石井さんはよく言いますが、そういう風景をつくることができれば一人で抱えている悩みや孤独も小さくなるかもしれないと思いました。
具体的には、落ち着いて自分の背中を預けられるような壁のある場所から大きな窓越しに庭を眺めることができたり、籠もって本を読める図書室があったり。一人でいるんだけど、みんなの存在を感じられる場所をつくれるといいなと思っていました。
山﨑:もうひとつは、「まち」のような建築を目指すという視点です。一般的に介護福祉施設は市街化調整区域という、市街化されない土地につくられることが多い。「52間の縁側」もそうで、福祉施設をまちの中に存在させるのは難しいんです。
でも逆転の発想で、この場所がまちのような場所になっていくことは可能だと思いました。「52間の縁側」にはカフェや寺子屋、商店、公衆浴場、デイサービスが共存している。ここがいろんな人たちにとって自ずと来たくなる「まち」になるといいなと。それが施設計画の中で重要視したことです。
――利便性や効率化のもとで規定されていった社会があって、そこからはみ出てしまう人もいるなかで、縁側のように目的を押しつけない場所を求める人も必ずいますよね。
石井:「待つ」ということが大事だと思います。介護においては、こっちがお世話しちゃうと何も生まれないと思っているんです。(施設を出て行こうとする利用者さんを見ながら)ああいうふうに急に出ていっちゃう認知症の人もいるんですよ。扉を施錠しちゃえば簡単に解決するんだけど、付いていくことによってわかることもあって。
最初、向こうは逃げていくわけですよ。それで俺は追いかけていくでしょ。そうすると、歩いている人はなんで歩いているんだろうって思って、逆にこっちに向かってきたりする。そしたら今度は、並んで歩くようになったりするんです。待つことによって、人間の新たな一面がわかってくる。動きを止めたり強制したりするのではなく、自発的に行動できる仕組みをつくるのが何より大切だと思うんですよね。
山﨑:でも、介護で人の隣に寄り添って「待つ」なんてことは、あまりにも危険で普通はやれないんです。石井さんの目指す介護は、介護スキルの次元がぜんぜん違うレベルにあると思います。建築の設計も、場所から名前を取っていって主体を利用者に委ねていくのはものすごく難易度が高い。
一般的に設計者というのは、主体が設計者にあって、自分の思うように使ってくれたらガッツポーズをするようなものなんです。でもそれじゃ面白くない。自分たちが思ってもみないような、人間が主体性を発揮してパワフルに関われるものをつくりたいんだって思います。
当事者でなくても、なにがダメなのかはわかる
――「52間の縁側」では建築中に庭づくりのワークショップをおこなうなど、地域住民や賛同者と一緒に場づくりに取り組んでいました。山﨑さんは以前設計を手がけた「糸満漁民食堂」でも、未来の利用者が自分たちの手で建物をつくっていくワークショップを実施していましたよね。
山﨑:そうですね。今回のこの計画では、完成してから地域住民に「はい、できました」と見てもらうより、少しずつ主体的に関わってもらいながらこの建物の存在を浸透させていきたいと思っていました。多くの場合、人々は建築にあまり期待していないんじゃないかとも思っていて。
山﨑:例えば、都市にマンションが建つとなったら、「また日射しが入らなくなる」とか「工事の音がうるさい」とか思われてしまう。ネガティブなイメージがあるんです。だから、完成を待ちわびてもらえるような建築にする必要があって、そのためには自分の暮らしに関わりがあるものだと知ってもらわなければいけないと思いました。この建築のビジョンに共感して協力してもらう。自分たちがいいと思うものに自発的に関わるものづくりが、いまの時代には重要だと感じています。
――山﨑さんはこれまでにも「さやのもとクリニック」(心療内科診療所)や「ビジョンパーク」(視覚障害者支援施設)、「新富士のホスピス」(末期がん患者とその家族のためのホスピス)を手がけてきましたが、福祉施設の設計に取り組む中で大事にしてきた考えはありますか。
山﨑:共通して言えるのは、僕が当事者として利用することがない施設だということです。そして多くの場合、設計を依頼する事業主も当事者ではない。利用する人の気持ちがわからないから、とても難しいと思います。そんななかで大事にしているのは、「人と会う場所をつくらないといけないんだ」ということです。建築が一番力を発揮するときって、やっぱり人と人が会う瞬間なんですよ。それはさっきも言ったように、同じ屋根の下にいて同じ空気を吸ってるだけでもいい。
――当事者の視点で設計することはできないけど、「人と会う場所をつくる」ことは建築の普遍的で大事な役割だということですか。
山﨑:当事者であることはすごく大事ですが、たとえ当事者であっても100人いれば100通りの望むものがあるわけだから、そのすべてを建築で実現するのは無理だと思うんですよね。
ただ、一方でわかっていることもあって。現状のものではダメだということです。例えば、病院は一般的に中廊下型の空間形式で、一番見渡しのいいところにナースステーションがある。これはほとんど監獄と同じで、居心地のいい空間ではないんですよね。怖いのは、「空間形式」と人々がその建物に持つ「イメージ」が結びついていることです。僕らは頭の中で、あの病院の空間を思い浮かべると「怖いところだ」と思ってしまう。空間が概念になってしまうんです。
こうしたイメージは建築が変えるべきものだと思います。だから、これに関しては自分が末期がん患者かどうかということは関係なくて、建築の設計者の目線として、「なにがダメでなにがいいのか」を考え続けてきました。
まず場所をつくる。そして人と人が出会う
――施設のオープンから1年が経過しますが、利用者の皆さんの様子や今後の展開があれば教えてください。
石井:おかげさまで利用者の定員はいっぱいで、みんな居心地がいいんですかね。夕方になると子どもたちがお菓子を買いにきたり、宿題をしにきたりして、それがうれしくて。やっぱり介護者にとって介護しやすい建物を建てちゃうと、主体があいまいになってコミュニケーションが取れなくなっていくんですよね。この安心できる場所で、人々がその人らしい日常を送って、僕たちが合わせるっていう状態を続けていきたいと思っています。
山﨑:ビジネスでは事業計画を立てますが、採算性を意識すればおそらくこの建設計画を実現することはできなかったと思います。1/3のスペースがカフェになっていて、おそらくここのコストをカットすることが求められる。
でも、石井さんは衝動で動いて、カフェは必要だと思ってしまったんですよね。新展開としては、このカフェスペースを運営したいと申し出てくれた人が出てきたことです。僕の友人でもありますが、鳥海孝範さんという、八千代市の隣の佐倉市で「おもてなしラボ」という施設を運営してきた方で。
この展開は、最初に場所をつくって、人と人が出会うことによって生まれたものなんですよね。まさしく縁側で生まれた縁というか。人をそろえて、マネタイズもできて、何年でローンを返済できてといった事業計画をつくる過程では生まれ得ない出会いなのは間違いないです。
医療や福祉の領域ではまだまだデザインや建築がやり残していることがたくさんありますが、そこに立ち向かうときの方法はこれしかないっていまのところは思うんですよね。人が出会う場所をつくるところからはじまる。それは「待つ」ということにも似ているし、みんなが協力したいと思う関係性のなかで場所が育っていくのだと思います。
文:原航平 撮影:中田浩資 取材・編集:萩原あとり(JDN)