文具やオフィス家具、空間デザインなど多岐にわたる事業を手がけ、その名を広く知られているコクヨ株式会社。2021年には「働く」「学ぶ・暮らす」の実験場として品川オフィスに「THE CAMPUS」をオープンし、街に開かれた環境を通して多様で豊かな混ざり合いを生み出して話題を呼んだ。
さらに2022年には、新たにリサーチ&デザインラボである「ヨコク研究所」を発足。コクヨがヨコクという何ともユニークな名称の組織では、新しい社会の兆しを現地調査によって研究・考察するフィールドワークをはじめ、多様なプロジェクトをスタートしている。
予測ではなく“ヨコク”をしていく組織とは?ヨコク研究所がテーマとして掲げる「自律協働社会」とは――研究所発足の背景からプロジェクト内容などについて、研究員の田中康寛さんと工藤沙希さんにお話をうかがった。
新しい社会のあり方を調査・研究するラボ
──はじめに、お二人がこれまでどんなお仕事をされてきたのか教えていただけますか?
工藤沙希さん(以下、工藤):私は大学でプロダクトデザインを学び、卒業後もインハウスでプロダクトデザインの職を得ましたが、職人的な造型の探究にも学術的な調査研究にも身を振り切れない状態で、市場主義の射程の外で物事を考えるための契機を探していました。
それから縁あってコクヨに入社し、働き方のコンサルタント部門で「オフィス」というコクヨのドメインに携わったあと、昨年からヨコク研究所の立ち上げメンバーとして参加しました。現在は民間企業の研究組織としてのラフさと機動力の良い側面を活かせるように、学術的な視点を少しずつ取り入れながら社会研究をしています。
田中康寛さん(以下、田中):僕はコクヨに入社後、オフィス家具の商品企画やマーケティングの仕事に数年携わったあと、働き方の研究機関である「ワークスタイル研究所」に所属し、昨年からヨコク研究所にも参画しています。ワークスタイル研究所では、人は何を大切にしながら働いているのか?という問いのもと、「価値観」を切り口に働き方や働く場の研究をしてきました。
統計的な調査から人の行動や感情をマクロ的に探索することが好きで、これまでのキャリアでもそういう仕事を続けてきたように思います。とはいえ、マクロデータだけでは具体性を見出しにくいことがあるので、フィールドワークなど質的調査から市井の人々の声を集め、社会の輪郭を明らかにしつつ、統計的な調査とつきあわせ、意味を見出すアプローチをとっています。
──では、ヨコク研究所が発足した背景を教えていただけますか?
田中:コクヨは創業して118年になりますが、その歴史のなかで、社会や生活者の動きを捉えながら事業転換をおこなってきました。お客さまの声を聞きながらノートをつくり、それを収納する家具をつくり、家具が置かれるオフィスの設計、さらにオフィスを含めた働き方について視点を変えてきた会社です。
だから僕らも、その延長線上で「オフィスの未来はどうなっていくのか?」「どうすれば幸せに働くことができるのか?」ということを考えてきましたが、近年はパンデミックや戦争に象徴されるように、社会の不確実性が高まり、未来を見据えにくくなっています。また、もし見据えられたとしても、多様化した現代では「こんなふうに生きていたら幸せになれる」といった、ひとつの「正解」を予測することがほとんど不可能になってしまいました。
田中:そこで私たちも、オフィスの外に出て社会を捉え、客観的な立場から「予測」するのではなく、目指したい未来を主体的に「ヨコク」していきたい、と考えたんです。ただ、具体的な未来像はまだあいまいです。そこで未来像のひとつである「自律協働社会」とは何なのかを探索するための組織として、ヨコク研究所が発足しました。
──ヨコク研究所がテーマとして掲げる「自律協働社会」とはどういったものなのでしょうか?
工藤:「自律協働社会」は、「自律」した個人同士が適切につながり、「協働」のコミュニティが生まれるような未来のシナリオのことで、コクヨが長期ビジョンとして掲げている社会モデルです。
ヨコク研究所はこの「自律協働社会」を模索するために、すでに自律協働的な実践をしている人や事例、また新たな社会のあり方を感じさせる兆しを調査する活動をしています。調査・研究をする「リサーチ」、それに対する解釈や考察を発信してファンやコミュニティをつくる「エンパワーメント」、さらにそれを社会実装する「プロトタイピング」、この3つをヨコク研究所のミッションとして掲げています。
「ファン&オープン」を信条に、協働しながら進めるプロジェクト
──これまで、どんなプロジェクトが進められてきたのでしょうか。
工藤:主要なプロジェクトのひとつが、「自律協働社会」の兆しを個別の地域から模索する「フィールドリサーチ」です。初年度となる2022年はシンクタンクの「リ・パブリック」さんと一緒に鹿児島で活動する人々への取材・調査を行い、「YOKOKU Field Research」としてレポートも発刊しました。
もうひとつが、コンテンツレーベルの「黒鳥社」さんと制作している『WORKSIGHT』です。『WORKSIGHT』はもともとオフィスの情報誌として2011年に創刊した媒体でしたが、ヨコク研究所の発足とともに、これからの社会を考えるうえで指針となるテーマやキーワードを拾い上げて探求するオウンドメディアとしてリニューアルしました。現在は週刊ニュースレターを中心に、冊子、SNS、イベント、ポッドキャストなどでコンテンツを配信しています。
──プロジェクトはいつ頃から準備されていたのですか。
田中:組織は2022年1月に発足しましたが、実はその前から未来がどうなるかというシナリオを描き、そこからバックキャストして商品を考えようという働きは経営陣にあったようです。
それで、まず未来シナリオの具体像を探るため、ベトナム、インド、台湾の3カ国で「自律」や「協働」を体現している3人の実践者を、ヨコク研究所の江藤元彦、金森裕樹、山下正太郎の3人が中心となって、リ・パブリックさんと一緒にリサーチをはじめました。それを本にまとめ、2022年9月に刊行したのが『あしたのしごと』です。この過程で、ヨコク研究所の輪郭が少しずつ定まっていったのではないかと思います。
──外部のパートナーとも協働されているのですね。
田中:はい。ヨコク研究所には私たち2名のほかに、さきほども話した江藤、金森、山下を入れて全5名の社内研究員がいます。ただ、私たちだけで進めているプロジェクトというものはありません。ヨコク研究所では、「ファン&オープン」を信条として、リサーチやプロトタイピングを社外の方々と協働しながらつくりあげ、その成果もオープンにして、ほかのリサーチ機関や興味を持ってくださるファンの方々と一緒に、社会変容を刺激することを目指しています。
若手経営者らを訪ねた鹿児島のフィールドワーク
──昨年、鹿児島で行われたフィールドワークについてお聞かせください。
田中:鹿児島でのフィールドワークは、鹿児島本土で地域に根ざした活動をおこなう5つの事業者と、離島である甑島(こしきしま)に拠点をおく「東シナ海の小さな島ブランド株式会社(通称、アイランドカンパニー)」をリサーチしました。そのレポートが、「YOKOKU Field Research 前編:地域の景色を変える5つの実践」と「後編:巻き込まれ合う個人・組織・共同体」です。
──前編のレポートのなかで田中さんは、2007年に鹿児島で創業し、資源循環型ビジネスを展開する「ecommit(エコミット)」の記事を担当されていますね。
田中:はい。「ecommit」創業者の川野輝之さんは、独自開発したトレーサビリティシステムによってリユース品を販売する環境ビジネスを展開しているのですが、ビジネスをよくすることで、自分たちが暮らす鹿児島の環境もよくなるという循環を生み出しています。僕らは、たとえばコクヨとしてものづくりしていても、それによって自分や身近な人の暮らしがよくなっていると、あまり体感できないまま働いていると思うんです。
でも「ecommit」はサービスの「提供者」でありながら、その環境に身を置く「受益者」でもあるという構造になっていて、それにより働き手の自律性を促し、会社の成長にもつながっている。働く一人ひとりが会社の事業を「自分ごと」とする当事者性をどうつくるのか、また働く意義や事業の本質についても考えるきっかけとなりました。
工藤:興味深いのは、川野さんは鹿児島のご出身ではないということです。ご自身は大阪生まれですが、Iターンで鹿児島で創業されています。こうした「後天的当事者性」とでも言うようなものが生じる背景に、鹿児島の自然の圧倒的な強度があるようでした。
──前編では、5つの事業者を研究員のみなさんで分担してリサーチされたのでしょうか?
田中:いえ、それぞれ執筆の担当者はいますが、担当者だけではなく、メンバー全員が現場に行って話を聞き、それぞれ気になったことを議論しながら掘り起こしていく、という形でおこないました。
また、前編と後編では、リサーチ手法もちょっと違っています。前編は、経営層へのインタビューが中心でしたが、後編のアイランドカンパニーのリサーチでは、経営者だけではなくスタッフの方々も対象に、普段どういう働き方や考え方をしているのか、現場に入代表りながらエスノグラフィー(生活や行動様式をフィールドワークによって調査する方法)的に掘り起こしていきました。工藤さんも、一緒にパンを焼いたりしていましたよね。
工藤:早起きしてパンをこねさせてもらいました(笑)。とはいえやれることを探しながらお手伝いしていたような感じで、それも1日だけですし、質的調査としての参与観察とは呼べないくらい短い時間です。その中で、島の人がどんな話題についてお話をしているか、どんな景色を見ているかなど、形式的な場での言葉以外の情報を掴み取ろうとしていました。
このあたりのフィールドワークの方法については、厳密かつ長期間の調査を行ったとして民間組織としての機動力が活かせないと本末転倒なので、やりながらどうバランスを取るべきか考えているところです。
次ページ:変化の兆しから、これまでの価値観を問い直す
- 1
- 2