昨年4月、福岡市南区高宮にレストラン、茶房、迎賓館、ミュージックホールを有する「高宮庭園茶寮」がオープンした。築100年以上を誇る市登録文化財の旧高宮貝島家住宅が、同市の再生プロジェクトによって市民に開かれた複合施設として生まれ変わった事例だ。
空間づくりのプロフェッショナルである丹青社が、このプロジェクトでディレクション、デザインなどを担当。ホテルやレストラン事業を展開するポジティブドリームパーソンズ(以下、PDP)と企画段階からタッグを組み、足かけ4年で完成にこぎ着けた。
どのような空間づくりを目指して、この歴史的建造物の再生に挑んだのか。同館を運営するPDP ファウンダーの杉元崇将さんと、全体ディレクションを担当した丹青社の小出美希さんにお話を聞いた。
地域の活性化につなげる文化財再生プロジェクト
――はじめに、お二人の普段のお仕事について教えてください。
杉元崇将さん(以下、杉元):PDPは、1997年に結婚式事業からスタートした会社です。設立10年目ごろからホスピタリティを通じて感動を提供する「感動創出企業」を目指し、ホテルやレストラン、イベント、フラワーなどのプロデュースと運営もおこなっています。
小出美希さん(以下、小出):私は、丹青社のコマーシャルデザイン局でクリエイティブディレクターとして、ホテルや病院、物販、婚礼施設などの商業空間のデザインとディレクションを担当しています。
――両社は以前からさまざまな複合施設の開発を一緒に手がけられているそうですね。最初のきっかけは何だったのですか?
杉元:丹青社と当社がはじめてタッグを組んだのは、2011年に開業した複合商業施設「SHINAGAWA GOOS(シナガワグース)」(2021年3月閉館)です。京浜急行電鉄が自社運営していた旧ホテルパシフィック東京を外部企業との共同運営に転換し、複合施設にリニューアルするプロジェクトで、丹青社と企画段階から一緒に取り組みました。婚礼やレストランを含む立体的な事業への転換を目指すなかで、丹青社さんからお声がけいただいたのが最初のきっかけです。
小出:その後、「SHINAGAWA GOOS」の一部改装があり、私はそのフードホールの企画でPDPさんとはじめてご一緒させていただきました。
杉元:それから東京2020大会に向けてホテルや商業施設の需要が高まるのに伴ってご一緒する機会が増え、神戸や福岡での大型案件ののち、2017年に開業した大阪城公園のパークマネジメント事業に一緒に参加しました。当時、大阪城天守閣は観光地として人気だったものの、訪問客の滞在時間が短いという課題があったため、集客と事業運営のノウハウをもつ民間企業に公園の一体管理が委託されました。
杉元:このプロジェクトで、丹青社さんは公園内にある旧大阪市立博物館という歴史的建造物を改装した複合施設「ミライザ大阪城」を手がけ、当社はバンケットとレストランを一緒に立ち上げました。この成功事例が、今回の「高宮庭園茶寮」で、行政と丹青社、当社という同じような座組で文化財のリニューアルを手がける一つのきっかけとなりました。
公共性と持続的経営を両立させる「ハイブリッド型施設」
――今回、リニューアルを手がけた福岡市の旧高宮貝島家邸宅は、もともとどのような場所だったのでしょうか?プロジェクトがはじまった経緯も交えて教えてください。
杉元:麻生・安川と並んで炭鉱王と呼ばれた貝島家が大正初期に建てた邸宅が、昭和初期に由緒ある住宅地である、ここ高宮の地に移築されました。石炭業全盛時の歴史を伝える貴重な建造物を後世までつなぎたいという貝島家の強い意志のもと、2005年に邸宅を含む広大な緑地が福岡市に寄贈され、市登録文化財となりました。
そして、この邸宅の歴史的価値を高め、地域住民にとって意味のある都市公園として再生するべく、公園を整備・管理する事業者が2018年に公募されたんです。そこで、丹青社さんにご相談し、一緒に企画提案をすることになりました。
小出:本事業への参加資格は福岡市内の企業に限定されていたため、地域の企業を集めてコンソーシアムを立ち上げました。PDPさんが立てた企画の大枠をベースに、魅力ある施設にするためにどんな機能やコンテンツをもたせるかということを一緒に議論し、決めていきました。
普段は、既存の建物の中の空間デザインを考えるプロジェクトが多いですが、今回は文化財の復元と新たな建物の設置を含め、全体でどのような雰囲気をつくって運営するのかというところから一緒に考えました。約1カ月という短期間で、PDPのプランナーの方と集中的に連携して企画をつくり上げました。
――公募段階では、どのような設計要件があったのでしょうか。
杉元:福岡市が提示した条件は、地域住民が集える都市公園をつくることでした。それまでこの区域には公園がなかったため、市民にとっての憩いの場となり、災害時の避難場所としての役割も果たす公園を必要としていました。同時に、名家の歴史的価値をきちんと伝承し、観光資源として来街者の方が日本文化を体験できる場所にすること。そして、国内外の来賓をもてなす迎賓館としての機能を持つことが求められました。
――さまざまな要件がある中で、どのようなビジネスプランを考えられたのですか?
杉元:行政と民間企業の共同事業としてこの公園を継続的に運営していくためには、まず近隣住民の方々に利用していただくのはもちろん、最終的に外部の方にも商業施設として利用してもらうことが不可欠です。しかし、駅から離れた高級住宅街の中という立地にあるため、商業色を全面に出すことができず、民間企業が一定の投資をして事業収益で回収するのはなかなか難しいという実情がありました。また、観光客が押し寄せるような騒がしい商業施設は周辺環境を考慮すると適していません。
杉元:そこで、福岡市とも協議し、行政と我々の双方の投資対効果が見合う落としどころを決めていきました。この施設をレストランやウェディングなどの商業用途としてだけでなく、住民の方が集まってパーティーやコンサート、セミナーなど用途に合わせて活用できる、ハイブリッド型複合施設と位置付けました。大前提である都市公園という枠組みの中で、歴史的価値をしっかりと残しつつ、そぎ落とせるところは思いきってそぎ落とし、借景の素晴らしさを観るための場所にする方向にしたんです。
「不易流行・工藝饗摯」をコンセプトにした空間づくり
――この邸宅は、もともと2万m2という広大な敷地の中に建てられたそうですね。どのようなコンセプトで、建物と緑地の活用をデザインされたのでしょうか?
小出:施工前、敷地内には約1,200m2の伝統的な日本家屋が建っていました。しかし、その半分ほどは経年劣化で倒壊し、残存するのは約500m2の旧宅母屋の応接空間と茶室のみで、宴会場として収益化を図るうえでは収容スペースが不十分でした。
そこで、母屋と茶室を復元して一般に開放するのに加え、倒壊した生活空間部分に新たな主力となる迎賓館とミュージックホールを建設することにしました。この事業の中で増設できるスペースも限られていたので、それぞれ80名まで収容可能な小規模の空間にしました。
杉元:この新旧の建築を活用して、庭を眺めながら食事やお茶、ウェディングなどの通過儀礼をおこなえる空間を提供しています。全体のコンセプトは、「不易流行・工藝饗摯」という、昔からある食材や道具、生活様式を再編集してお客さまに提供することを掲げています。その一つとして、レストランでは、お茶と九州の食材を使った出汁をテーマにした料理を提供しています。市場的には小規模の施設ですが、このコンセプトに共感していただける方にお越しいただきたいと考えました。
次ページ:デザインの課題は、庭を中心とした自然と建築の調和
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