デザインの役割や価値について“みんな”で考えていく、エイトブランディングデザインとJDNの共催イベント「みんなでクリエイティブナイト」。「教育とデザイン」をテーマに、PARTYのクリエイティブディレクター兼CEOの伊藤直樹さんと、UMA/design farm代表の原田祐馬さんのお二人をゲストに迎えた第8回目の模様を、 3回に分けてお伝えしていきます。
前編に続き、中編では原田さんによるレクチャーをお届けします。
ラグビーを辞めるきっかけとなった、インド料理店でのできごと
UMA design/farmは、僕を入れて8名で運営しているデザインスタジオです。大阪の北浜というところに事務所を構えています。
僕は1979年に太陽の塔がある大阪府吹田市に生まれ、太陽の塔を見ながら育ちました。京都精華大学の建築専攻を卒業したんですが、ちょうど僕らはロストジェネレーションと呼ばれる世代で、不景気で就職の選択肢も少なかったので、もうちょっと勉強しようと、当時万博記念公園にあったインターメディウム研究所という学校に2002年から2005年まで在籍していました。本当は1年制の学校なんですけどね、結構長いこといました(笑)。
その間に、アーティストの椿昇さんやヤノベケンジさんと出会ったことが、自分のキャリアをかたちづくるきっかけになりました。のちに京都芸術大学で教えることになったことも、研究所での出会いがきっかけでした。大学では、当時グラフィックデザイナーや建築家など、特に肩書きもなく活動していたので、「近所の元気な兄ちゃん」みたいに思われながら教えていました。2021年の3月で任期が終わり、いまは名古屋芸術大学で授業をやらせていただいています。
僕は学生時代、20歳までラグビーに熱中していて、そのために生きているくらいラグビー中心の世界でした。その頃、ダツさんとラムさんがやっているインド料理屋でアルバイトしていたんですが、ある有名なデザイナーの行きつけのお店だったんですね。ある日オーナーに、「お前、建築を勉強してるんだったら、あのお客さんにあいさつに行ってきなさい」と言われて、チャイをサービスしにいったんです。すると、「しゃべったのか」とオーナーに聞かれ、「いや、サービスして来いって言われたんで、行っただけです」と返したら、「知らないのか?」と。
当時の僕は誰だか知らなくって。「勉強不足です」とダツさんに言われて、ショックを受けました。そのことをきっかけに、当時生活の中心だったラグビーを辞めて、もっと建築やデザインの勉強を頑張ろうと思って。なので、ある意味ではダツさんとラムちゃんは命の恩人というか、あのふたりがいなかったらいま僕はここにいないんです。
椿昇さんとヤノベケンジさんのもとで学んだこと
その後、先ほどお話ししたように、インターメディウム研究所で現代美術家の椿昇さんとヤノベケンジさんと出会い、アシスタントとしていろいろと携わらせていただくようになりました。ヤノベさんの作品『ジャイアン・トラやん』の組み立てをしたり、いろいろと走り回っていましたね。また、僕が24~25歳の頃、当時は金沢21世紀美術館が開館する頃だったんですが、ヤノベさんに「金沢で一緒に半年間滞在制作しないか」と言われ、金沢で暮らしながら働いていました。
金沢で仕事をしている際に、当時、一緒に滞在していた編集者の多田さんと「このプロジェクト、本に残せないかな」と突如思い立ち、本にするための企画書をつくって、いろんな出版社を回りました。やっとの思いで出版社が決まったんですが、当時は予算やお金のこともわかってなくて、決まったあとにもお金を集めたり。そこには、デザインの予算は入ってなかったこともあり、右も左もわからず、自分でやってみることに。なので、この本がはじめてのグラフィックデザインの仕事でした。
ヤノベさんには、プロジェクトそのものを一緒につくっていくということを教えてもらって、徐々に自分の仕事とは何かが見えるようになってきた感覚がありました。そこから、いろんなプロジェクトをやっていくようになるんですけど、2009年に「DESIGNEAST」というプロジェクトを同世代の仲間5人と立ち上げました。自分たちがプレゼンテーションする場じゃなくて、いろんな人たちが集まってなにか学べる場所をつくろうと思ってスタートしたプロジェクトで、自分たちの興味の赴くまま、みんなでディスカッションしながらテーマを変えていき、6回開催しました。
その中で、僕の師匠でもあるアーティストの椿昇さんにゲストで来ていただいたときに、2013年の瀬戸内国際芸術祭の小豆島のプロジェクトに声をかけていただきました。「観光から関係へ」というコンセプトをつくり、いわゆるスタンプラリー的なものではない、地域の人たちと関係性をつくっていくプロジェクトとして、みんなが寝泊りできるようなところを準備したり、クリエイターインレジデンスをつくったりしていました。
プロジェクトの本質をデザインする
今回のテーマ「教育とデザイン」についてよくよく考えてみたんですが、UMA /design farmとして僕らが関わっているプロジェクトは、関係性を構築していくことや、そのプロジェクトの本質を言語化してデザインに落としていくような仕事で、ずばり「教育」というわけではないんですが、教育的な要素があるなと思ったんです。
一つ目の例が、広島県の湯来町というところにある「砂谷牛乳」という牧場のリブランディングをお手伝いさせていただいている仕事です。牛乳って、春と冬では味が違うんですね。牛は春夏にたくさん水を飲むので、ミルク自体がすごくまろやかで優しい感じになり、ごくごく飲めるようなミルクになるんです。秋冬になると、牛は水分をあんまり取らなくなるので、ミルクはもっと濃厚になっていきます。
僕らは現場に行くたびに飲んでいるんですが、確かに味が違う。牧場の方にこういった理由を聞いて、それをそのままデザインすればいいなと思い、いままで一種類だった商品とパッケージを季節によって分けて、「はるとなつ牛乳」「あきとふゆ牛乳」という商品名で、リリース時期をちゃんと分けて販売しようと決めました。牛乳というのは牛という生き物からいただいているものなので、季節によって味が違うというシンプルなことがちゃんと伝わればいいなと、パッケージにも説明が書いてあります。
二つ目の例が、最近はじめた大阪の豊中にある「服部天神宮」の仕事です。ここでは菅原道真が祀られているんですが、足の神様とも呼ばれているんですね。なので、足に関わるお守りを改めて考えてみましょうと、いまお手伝いさせていただいています。
お守りって、人からいただく場合、もちろん嬉しいことが基本にあるんですが、ちょっと“重さ”のようなものも感じる場合があるのではと考えています。もう少しだけ軽やかに身につけられるものとして、ファッションの延長とも言えるような、靴紐に通すお守り「足守」をデザインしています。ランナーの方が走って服部天神宮さんまでお参りして、そのまま「足守」をうけていく、そんな風景ができています。
三つ目の例ですが、大学で学生たちに教えていることを、もっと自分たちで多くの人に伝えていくことができないかなと思い、「どく社」という出版社を立ち上げました。2人の編集者と一緒に資金を出し合って会社をつくり、一昨年に1冊目の本として、東京大学の異才発掘プロジェクト「ロケット」の活動の記録を集めた『学校の枠をはずした』という本をつくらせていただきました。
僕らは、福祉に関わる仕事をしている中でも、報告書をデザインする仕事を相談いただくんですが、報告書だけだともったいないなと思うぐらい、内容が濃いんです。もっと遠くに届けば良いのになぁと思ったことも、出版社をつくるきっかけになりました。本を読むことは、1人きりになることで立ち止まることができる瞬間だと思うんですね。なので、どく社では立ち止まる瞬間をたくさんつくるような本を出版していけたらと思っています。
現場に入るからこそわかること
最近リリースされたんですが、日本財団さんとのプロジェクトで、1年半ぐらいかけて九州大学の田北雅裕先生と一緒につくった里子さんを支援するためのキットをつくりました。里子さんが、里親にいくことについて、自身で少しでも理解が拡がるキットとしてつくりました。里親というのは、親の立場から説明されているものはたくさんあるんですが、子どもの立場から権利などについてきちんと解説されているものがなかったんです。そこで、過去に里子や実子だった人たちにインタビューを実施して、カードゲームのようにコミュニケーションしながら理解を深めることができるツールとしてつくっています。
URのプロジェクトでは、15年とか20年に一度のルーティンで古くなった団地を塗装し直して、建物の保護と環境を整えていきます。そういったルーティンに関わることで、地域の中で、団地というものがどんなふうにあればいいのだろうと考え始めました。実際に現場に入ってフィールドワークやヒアリングしていく中で感じたのは、団地は基本的には賃貸ですが、自分たちの室内から少しだけ、室外に生活が溢れ出てくることがおもしろいなと。なので、生活があふれ出たこと自体をポジティブに捉えられるような色彩計画ができないかなと考えました。
たとえば、廊下に植物とかを並べたら、普通だったらネガティブな感じになってしまうところを、そういったことが愛嬌に変わるようなことができないかなと。ほかにも、何気なく傘を干すという行為自体が絵になったり、そういうことが許容されるようなデザインを目指すことで、寛容さや愛着みたいなことを生むことができないかと考えながらやっているプロジェクトです。
社会福祉法人「大分県福祉会」の児童養護施設の子どもたちと一緒にやってるプロジェクトでは、最初は壁紙を選んでほしいと言った依頼だったんですが、話を聞いてるといろんなことがわかってきて、現場に入ってもっと話を聞いていくことにしました。
児童養護施設では、基本的には高校を卒業したら、一人で暮らしていかないといけないんです。でも、子どもたちは家具の組み立てや家具を選ぶこともあまり経験したことがない。そこで、子どもたちと一緒に家具を選び、届いた家具を開梱して組み立てるワークショップを実施しました。そのことがきっかけで、大分県福祉会という、子どもたちのことを24時間考えている法人さんのブランディングのお手伝いとして、現在はその方たちの考えてることをきちんと視覚化するためのビジュアルの設計の仕事もしています。
写真:松田瞳(エイトブランディングデザイン) 文:堀合俊博(JDN)