ショッピングセンターや博物館、ホテルやクリニックなどあらゆる空間を手がける丹青社。同社は企業の課題解決にとどまらず、新たな価値創造を目指して数年前からさまざまなプロジェクトを進めている。今回焦点を当てるのは「心がときめく五感サイン」開発プロジェクト。従来の視覚情報に頼ったサインでは不便を感じる方にもわかりやすい、五感で感じられるサインを開発する取り組みだ。
同プロジェクトでは2022年から大泉障害者支援ホームと協働し、音で認識するサインの実証実験を開始。サウンドデザイナーや音響機器メーカーといった外部パートナーと共創しながら、音のサイン開発に取り組んでいる。
お話をうかがったのは、プロジェクトの発起人である丹青社の鶴谷真衣さん、作曲家兼サウンドデザイナーの畑中正人さん、株式会社テレビマンユニオン音楽事業部の田村孝史さん、音空間コンサルタントの空山雅一さん、大泉障害者支援ホームのスタッフ・西中宏子さんの5名。前例のない音づくりの中でどのような挑戦があったのか、それぞれの目線から語っていただいた。
※畑中さんはオンラインでの取材参加
前例のない五感サインづくりへの想い
――まず「心がときめく五感サイン」開発プロジェクト発足のきっかけをお聞かせください。
鶴谷真衣さん(以下、鶴谷):普段の丹青社の仕事はクライアントワークがほとんどですが、2年前から自社でも何かプロダクトを生み出せないかと、さまざまな領域でデザインプロジェクトが立ち上がりました。その中の1つである「インクルーシブデザイン※」領域で、メイン担当として声をかけてもらったのが、プロジェクト発足のきっかけです。
※これまでデザインのメインターゲットから排除(Exclude)されてきた特別なニーズを抱えた消費者を、デザインプロセス初期の概念デザインから積極的に巻き込んでいくデザイン手法。
鶴谷:私自身、これまで多岐にわたる空間デザインに携わる中で、ダイバーシティのあり方に向き合う機会が多くありました。性別、人種、障害の有無にかかわらず、同じ空間にいる全員に同じ体験を届けるにはどうすればいいのだろう。そんな問いから、街中や施設に設置されている「サイン」をアップデートできないだろうかと考えるようになりました。
世の中に存在するサインの多くは「ビジュアルサイン」と呼ばれ、ピクトグラムや文字で意味を認識するものです。それが当たり前になってしまっている中で、視覚以外でより多くの人が同じ体験や感動を共有できるサインができないか。そう思い、スタートしたのが「心がときめく五感サイン」開発プロジェクトでした。
――プロジェクトのトライアルの場として、大泉障害者支援ホームに協力を依頼したとのことですが、どのような経緯があったのでしょうか?
鶴谷:大泉障害者支援ホームさんとの出会いは、施設のリニューアルに伴うVIデザインの刷新プロジェクトでした。地域住民に親しんでもらえるよう、施設の新たな愛称として「vivo tree(ヴィーボツリー)」を提案させていただきました。このプロジェクトで施設を訪問した際に、さまざまな障害を持った方々が共同生活を営む姿を見て、このような場所こそ五感サインが役に立てるのではないかと感じたんです。
鶴谷:それで、「心がときめく五感サイン」開発プロジェクトの協力者を探す際、いの一番に大泉障害者支援ホームさんにご連絡しました。最初は、前例のないチャレンジということもあり不安なご様子でしたが、最終的に「まずはやってみましょう!」と前向きなお返事をいただき、ホッとしたのを覚えています。
――同プロジェクトにおいて、施設側の窓口を担当された西中さんは、最初にお話を聞いた時どのような心境でしたか?
西中宏子さん(以下、西中):音のサインや匂いのサイン、触るサインといった五感サインをご提案いただいた時、率直に音のサインなら取り入れられるかもと思いました。当施設は音楽療法を取り入れて利用者の皆さんと楽器を演奏するなど、音楽が身近にある環境なので、他の五感サインと比べて受け入れてもらいやすいだろうと考えたんです。
西中:ただ、聴覚が敏感な方や自分の好きな音へのこだわりが強い方が多いため、細心の注意を払いながらプロジェクトを進める必要があると思いました。施設で生活するみんなが気持ちよく過ごすためにはどんな音が適切なのか。完成が想像できない不安はありましたが、つくってみないとわからない―そう思い、できる限りの協力をしようと利用者のみなさんへのヒアリングからはじめました。
鶴谷:このような前例のない実証実験を快く受け入れてくださる施設って本当に限られているんです。ビジュアルサインはこれまで健常者主体でつくられてきたため、多くの人が経験知によって良し悪しを判断しやすい。一方で音のサインをはじめとするほかの五感サインは前例がなく、何が良くて何が悪いのか判断が難しい領域です。実際につくってみて感じたことを丁寧に言語化しながら進めていくしかありません。
だからこそ、一緒にチャレンジングな一歩を踏み出していただいた大泉障害者支援ホームさんには感謝してもしきれません。何もかもが手探りでの挑戦でしたが、信頼できる音のプロフェッショナルたちの力があれば、必ず前例をつくり出せると信じていました。
――同プロジェクトに音づくりのプロとして参画したみなさんにも経緯についてうかがいたいと思います。
田村孝史さん(以下、田村):私の所属するテレビマンユニオンは映像コンテンツ事業を中心に展開しながら、クラシックコンサートの企画など音楽事業にも裾野を広げている会社です。私は音楽事業部に所属するアーティストのマネジメント業務に携わっています。
田村:作曲家兼サウンドデザイナーである畑中はその中の1人で、これまで二人三脚で空間音響案件に関わってきました。窓口や要件整理などを私が担い、それを踏まえたクリエイティブを畑中が担当するイメージです。鶴谷さんとは別の案件でご一緒する機会があり、そのつながりで本プロジェクトにお声がけいただきました。
鶴谷:どんなものをつくるのかまだ明確になっていない段階なのにもかかわらず、二つ返事で承諾いただきましたよね。嬉しかったのですが「本当にいいんですか!?」と驚いたのを覚えています(笑)。
田村:音にまつわる仕事って、目に見えないからこそプロジェクトの初期段階では言語化できていないものがほとんどなんです。なので鶴谷さんから音のサインの話を聞いた時も戸惑いはなくて、畑中とともに「とりあえずやってみましょう」と前向きにお返事しました。
鶴谷:そうだったんですね。空山さんに音響機器のプロとして参画いただけないかお声がけした時も二つ返事でしたよね?
空山雅一さん(以下、空山):鶴谷さんから五感サインの話を聞いた時、これはチャンスだと思ったんですよね。当時私は音響機器メーカーのTOAに所属していたのですが、正直言って機器同士の差別化はほとんどやり尽くされていました。そんな中で音響機器メーカーとして新しい価値をつくるには何をするべきか。たどり着いた答えが、音空間ごとに最適化した機器設計をすることでした。障害者支援施設での音のサイン開発は、会社の方向性を決定づける事例になりうると思ったんです。
繊細な音づくりで光る匠の技
――音のサインのトライアルとして「食事時のサイン」を制作されていますが、食事時を選んだ理由を教えてください。
鶴谷:制作にあたり、まず施設のみなさんの1日のスケジュールをうかがいながら、音のサインが役立ちそうなタイミングを探っていきました。その中でわかったのが、利用者全員が同じ時間に食事をとることの難しさです。
特に目の不自由な方は時計を見ることができないので、自分の感覚で時間を認識します。そのため、スタッフの方が食事の時間だと伝えても理解してもらうことが難しい場合があるんです。利用者の方は自分の時間が乱されたと感じ、スタッフの方は予定通りに準備に取りかかれない。互いにストレスがたまりやすい状況だったため、音の力で解決できればと食事時のサインをつくることにしました。
――サウンドデザインを担当された畑中さんは、施設のみなさんへのヒアリングを踏まえてどのようにサインをつくっていったのでしょうか?
畑中正人さん(以下、畑中):最初はピアノで作曲しました。音に敏感な方が多くいらっしゃると聞いていたので、誰も不快に感じない音にするなら聞き心地が柔らかなピアノの音色が最適だろうと。しかし施設のみなさんに聞いてもらった時に1つ問題が浮かび上がりました。聞き心地が良いあまり、人々の意識を向かせる音になっていないんです。
畑中:不快にさせないことが最も大事であるものの、食事の時間を知らせるサインとして「食堂に向かおう」と行動を促す音である必要がある。最初のサインはBGMのようなムーディな雰囲気だったので、田村さんと相談しながらもう少しテンポの良い音に調整していくことにしました。
調整していく際にヒントとなったのが、西中さんからのコメントです。「音楽療法で日常的に打楽器を演奏するので、もっと個性のある音色でもいいと思います」と言っていただいたので、ピアノに限定せず、さまざまな楽器や音の素材を試しながら音をデザインすることができました。また施設を見学した際にいろんな種類の楽器が置かれていたのを思い出し、みなさんが日常的に使っている楽器を用いて、耳になじみやすい音づくりを意識しましたね。
西中:音楽の知識がない中で、聞いた時の感覚を一生懸命伝えさせてもらいました。「こんな伝え方で大丈夫かな?」と不安な気持ちでしたが、2回目の打ち合わせで私たちのイメージ以上の音を持ってきていただいたので、さすがプロ!と感動しました(笑)。
畑中:2回目は1回目と打って変わり、マーチングのようなリズムを取り入れました。ご飯に意識を向けてもらうには、ご飯への期待感を強める音色が良い。そうなると打楽器など音の輪郭がはっきりしているものが良いと思いました。結果スタッフのみなさんにも賛同いただいて、利用者のみなさんも誰ひとり不快感を示さなかったとお聞きしたので安心しました。
――畑中さんと田村さんのつくった音が快適に聞こえるよう、施設のスピーカーを調整した空山さんにもどのような工夫をされたのかうかがいたいです。
空山:畑中さんもおっしゃった通り、音に敏感な方々に合わせて音量や周波数を丁寧に調整する必要があります。そのため曲のどの部分の音をどのくらいの音量で出すのか、スピーカーの出力を細かく調整していきました。スピーカーからの聞こえ方は場所によって変わります。特に食堂は騒音が多い場所なので、ほかの音も聞こえる中でちょうどいい出力を探っていきました。
また、サインを届けたい対象によっても出力の仕方を調整する必要があります。例えば食事時間を知らせるサインは、食事の準備をおこなうスタッフのみなさんにとっても重要なもの。その場合は基準をスタッフさんに合わせて、みなさんの背中を優しく押してくれる音量はどのくらいか、意識しながら調整を重ねました。
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